吉田義人さんラクビー元日本代表講演(古里男鹿に育ててもらった)

秋工同窓会

 各 位
 秋工ラクビー後援会の船木です。

吉田義人さんラクビー元日本代表講演(古里男鹿に育ててもらった) を紹介させていただきます。

 秋田県男鹿市スポーツ協会(菅原寿会長)の創立70周年記念式典が22日、市民文化会館で開かれ、約250人が節目を祝った。
記念講演では、ラグビー元日本代表、現日本スポーツ教育アカデミー理事長の吉田義人さん(56)=男鹿市脇本出身=が古里への思いを語った。

吉田義人さんの古里男鹿への感謝の思いがあふれた講演に250人は感動につつまれた。
吉田義人さんの明治大学監督時代の教え子の父 成田秀明さんもかけつけた(息子さん高校日本代表、大学日本代表、ジュニアジャパン、サントリー勤務)

秋工関係者がたくさん参加され表彰されました。大変におめとうございました。

・特別功労者:大森勝美(息子さん秋工ROB サントリーから日本代表) 
・功労者:伊藤岩男、鈴木耕一、斎藤栄一、三浦辰也(息子さん2人秋工ROB)
・地区体協:船木和子(息子さん秋工ROB)
・優秀指導者賞:澤木賢一秋工ラクビー部監督、小松和幸秋工バスケットボール部監督
・栄光賞・個人:三浦颯太秋工3年、小玉斗真秋工3年、江畑暁登秋工2年、菅原巧帆秋工2年、夏井蓮秋工2年、佐藤良祐秋工2年、三浦大輝秋工1年(NHK杯東北高校ラクビー選手権優勝)     

吉田義人講演:

脇本おいばなラクビースクールでの小学校時代は日没後は弟に自転車のライトで道を照らしてもらい走りこんだ。走り込みは寒風山でも行い、坂を上がる車を追って、車と同じスピードで走ることを目指した。自分は男鹿の人たちに育ててもらったと、ずっと思っている。

社会に出て人間教育も受けたが、世界で戦う素地を男鹿がつくってくれました。
男鹿の人たちは負けず嫌いと表現しました。

○経歴・実績:
・1969年2月16日生まれ。秋田県男鹿市出身。
・小学校3年生でラグビーを始め、秋田工業1年生の時に全国制覇を経験。
・3年生の時には高校日本代表にも選出された。明治大学進学後、1年生からレギュラーとして活躍。
 4年生の時は主将として大学選手権優勝を牽引。
・19歳の時に、初の日本代表入り。その後、世界選抜に日本人で唯一3度選出。
 1992年、世界選抜の一員として臨んだオールブラックス戦でのダイビングトライは、 世界ラグビー史上伝説のプレーとなり、今でも語り継がれている。

・大学卒業後は、伊勢丹に入社しラグビー部に所属。
・2000年にはフランスへ渡り、1部リーグ・USコロミエ入り。

 日本人初の1部リーグプロラグビー選手となった。

・伊勢丹ラグビー部時代の1996年には、筑波大学大学院にてスポーツ教育を学び、

 修士号を取得。その後の指導や現在の社団法人の活動の礎となっている。

・現役引退後、2004年からは横河電機のヘッドコーチとして指導者の道へ進みトップリーグ

 に昇格させる傍ら、社業では最年少部長に抜擢されるなど、存在感を発揮。

・2009年からの4年間は母校明治大学の監督を務め、2012年に14年ぶりに対抗戦制覇に貢献。

・2014年、7人制チーム「サムライセブン」を創設。

・2016年に一般社団法人日本スポーツ教育アカデミーを設立し、現在に至る。

秋工同窓生の皆様 吉田義人さんの応援よろしくお願いいたします。

以上

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船木 政秋氏 : 建設コンサルタント男鹿 代表

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