近代日本経済の父渋沢記念館(深谷市)

7月19日(金)熊谷ゴルフクラブでプレー後、宿泊して20日(土)深谷市の近代日本経済の父 渋沢栄一記念館と旧渋沢邸「中の家・なかんちのいえ」・尾高惇忠生家・国重要文化財 旧煉瓦製造施設を見学してきました。

渋沢栄一記念館は渋沢栄一ゆかりの写真や遺墨など多くの資料が展示されていました。また、(AIによる)渋沢栄一のアンドロイドが孔子の論語と道徳と経済について話していました。

記念館の裏に広大な農地が見渡せるところに銅像が立てられていました。

旧渋沢邸では昔、農業・養蚕のほか藍玉を製造していました。屋敷の裏に大きな蔵や作業小屋などあり地元の大地主あったと思う。2階の養蚕場後に大河ドラマ「晴天を衝け」の資料が展示されていました。隣に使用人の家を改造して食堂と地元でとれた野菜を販売していました。栄一が好んで食べたという「煮ぼうとう」を食べました。まだ深谷のネギと野菜を買いました。

尾高惇忠生家は栄一の従兄にあたり、栄一が惇忠の下に通い論語や多くの学問を学び後世に惇忠ありてこそ栄一ありと称された人物で、後に富岡製糸場初代工場長や第一国立銀行の支店長など努められました。

旧煉瓦製造施設を見学しました。窯はドイツ人フリードリッヒ・ホフマンが考案した「ホフマン式倫窯」をドイツから輸入して最盛期に6基の窯が稼働して、製造された煉瓦は明治時代の代表的な建築「司法省・日本銀行・赤坂離宮・東京駅」などに使われ、日本の近代化の象徴となりました。現在は時代の波に押され、平成18年には120年に及ぶ会社に幕を閉じた。ホフマン輪窯6号窯が保存されて、改修工事がされていました。

三平俊悦(S39A)